19.吉井源太の新聞社あて掲載依頼

吉井源太の新聞社あて掲載依頼

明治26年7月(1893)

(現代語訳)
この度米国シカゴ博覧会への吉井源太の出品行き違いとなった紙は、皆新発明の改良紙10種です。中には額面紙という、着色した富岳の夕景の図に古歌を漉き込んだ、よほど骨の折れた製品もあります。天地1尺6寸、巾3尺で1枚は60銭の原価となります。海外での販路の見込みもあるものであったのに何故の間違いでしょうか。このような品の販売拡張をすれば、よほど海外の油を吸い、国家の幸益となったものをとため息をついております。今、海外行きのコッピー紙なども明治10年の第一回勧業博覧会において吉井源太が出品して龍紋の賞を賜ったものです。また、今回の出品も海外行きの販路の開拓をと工夫をし、職工男女に力をつけて指揮したものをこのような成り行きになり、職工までもが皆々ため息をつき、傍観しているのも気の毒なくらいです。どうぞこの気持ちをくみとり、これを雑報へお出しいただきますように。御加筆の上お願い申し上げます。

高知日報社御中
高知新聞社御中


(解説)
春先にシカゴ万国博覧会への出品紙類を業者に依頼して輸送し、納品していたと思っていたところ、突然、手違いにより先方に届いていなかったという知らせが届いた。
源太はじめ、製造にかかわった職人たちが驚愕・落胆した様子がよくわかる。このようなことがあったという事実を皆に伝えたかったのだろう、その経緯を新聞に載せて欲しいと依頼して書かれた短文。
結局、この「手違いだ」という知らせのほうが間違いで、品物は博覧会場へ届いており、賞も受けたことは後世の人にはわかるが、通信手段の整備されていない当時、このような知らせを受けてどのように悲しんだことだろうか。海外に日本製品の優秀さを見せ、販路を拡大して日本に利益をもたらすことができると確信していた自慢の品々であっただけに一層のことだった。