海援隊約規
慶応3年4月(1867)
(現代語訳)
およそ、以前に土佐藩を脱藩した者、他の藩を脱藩した者で、海外に関心のある者は、この隊に入る。
物を運び、利益を求め、土地を開き、有利な仕事に賭け、土佐藩の応援を主な仕事とする。今後、この考え方に従い、納得のうえこの隊に入ること。およそ、隊の中のことは一切隊長の考えに任す。敢えてこれに背かないこと。 (中略)
およそ、隊で修業することは、政治、法律、鉄砲取扱い、航海、蒸気機関、機械、語学などで、隊の方針に従って決めた。互いに励まし合って学び、怠ってはならない。
およそ、隊で必要な資金や食糧は、自分たちで稼ぎ出す。
また利益は隊員で分配し、独り占めしてはならない。 (後略)
(解説)
海援隊創設と同時に定められた隊の規則書。入隊資格や経営目標、隊長の権限、隊士の義務、修行課目、給与のことなど5か条から成っています。基本的には亀山社中のころと変わっていませんが、この約規によって龍馬のめざした運営指標が明文化されました。
海援隊は、長崎に本部を置く亀山社中から継続するもので、明確な違いは後ろ盾が薩摩から土佐藩に移ったことだけです。しかし、藩の庇護を受けながらも、両隊はいずれも藩に縛られてはいません。
藩閥意識や身分に一切とらわれず、海外で活躍する人間を求める龍馬の考えは、第一条に色濃く反映されています。
利潤追求、蝦夷地の開拓事業を見据え、学問にも力を入れています。多くがオランダ語を学んでいた当時、龍馬をはじめとする隊士たちは英語を学んでいたようです。後に英語のテキスト「和英通韻伊呂波便覧(つういんいろはべんらん)」も出版しています。
(高知県立坂本龍馬記念館『龍馬書簡集』より)