15.坂本龍馬の手紙 お龍あて

坂本龍馬の手紙 お龍あて

慶応3年5月28日(1867)

一通だけ残っているお龍あて

(現代語訳/追伸部分)
なお、先頃土佐藩の蒸気船「夕顔」という船が大坂から来ていて、その便でご隠居(山内容堂)様から後藤象二郎に早々上京するようにとのこと、私も上京するようにと象二郎が言うので、この紀州との談判が片づいたならば、私も京都に参ります。
今度の上京は誠に楽しみです。
しかしそのようなわけで下関へ寄ることが出来ないかも知れません。
京都には30日も滞在すれば、すぐ長崎へ象二郎と一緒に帰りますので、その時には必ず必ず下関にちょっとでも帰ります。
お待ちください。(後略)

(解説)
前半は慶応3年4月瀬戸内海で起きた土佐海援隊「いろは丸」の衝突沈没事件で、紀州藩の賠償支払いが決まりようやく決着します。安心せよと伝え、後半には、事件解決後、長崎で出発を待つ土佐藩の「夕顔」で後藤象二郎と上京するが、「この上京は誠に楽しみ」とさりげなく書いています。
これこそ、のちの「船中八策」の原案を持って乗船する龍馬の、やっと訪れた新しい日本の設計図発表への期待が行間ににじみ出ています。船中で練り上げられた「八策」は、同船していた書記の長岡謙吉によって清書、京都で発表され「大政奉還」の基礎となりました。

(高知県立坂本龍馬記念館『龍馬書簡集』より)