吉井源太の共進会演説原稿
明治19年6月(1886)
(現代語訳)
現在の製紙のことをちよっと御話し致す。
私は諸君御存じの通り、先祖よりの紙漉でございますが、祖父愚父の代までただ旧製法の事ばかりで、進歩するような事をせずにきました。万延申(さる)の年8月より思いつきまして、小半紙八枚漉の器械を開発しましたが、その節には傍観者共に指さして笑われる事が多くありました。追々と諸人に目にとまり、耳に聞こえて、土佐七郡に広がり、早や5、6年に及びます。
(解説) 徳島で開催された四国連合共進会へ向けての原稿または演説案だと思われる。奈良時代に製紙の方法が伝えられたとされてから江戸時代を通して、紙はほとんど1枚ずつ漉かれていた。江戸時代後半に2枚また4枚漉きになった歴史も源太は日記に書きとめているが、明治になる直前に源太は飛躍的に抄造枚数を増やせる工夫をした。後世、その工夫をした意義が評価されたが、開発当時は人々に笑われたという事実があったとわかる。人より進んだ改革を行おうとすると、最初は摩擦が起るものなのだろう。