坂本龍馬の借用書 田中良助あて
文久元年10月14日(1861)
(現代語訳)
一つ 金2両。
これは私が讃岐へ参りますときに、金が入り用になって借用したものでございます。
返済はことしの暮れまでに、1割5分の利子を添えて、元利とも必ず完済いたします。
借金のこと 以上のとおり。 坂本龍馬
(解説)
田中良助は土佐郡柴巻村(高知市柴巻)の人。柴巻には坂本家の地所があり、良助がその管理をしていました。龍馬もときどき遊びに行っていたそうです。
文久2年10月、龍馬は武市瑞山の密命を受けて萩の久坂玄瑞に親書を届ける旅に出ます。しかし、公式には丸亀へ剣術修行に行くと伝えており、萩までの費用が足りませんでした。そこで、親しかった良助に2両借用したのです。この時、幡多地方の勤王志士首領格である樋口真吉は期待を込めて、日記に「坂龍飛騰」と記しています。
(高知県立坂本龍馬記念館『龍馬書簡集』より)