吉井源太「勧業課へ指出す書」(控)
明治17年5月(1884)
(現代語訳)
一、梧桐 青桐 青ニヨロリ 琴桐 イサキ(この方言は幡多、高岡の両郡)
我輩は、昔から製紙業を営んでおります。四季、寒暖の時を見るに、営業360日を区分し、寒180日、暖180日。この業上、接骨糊(ノリウツギ)混合の適量を見ると、楮皮10貫目で製造する時に費す量を量ると、寒気の際は、500目を要する。暑気の時には2貫目を用いる。
私はこの寒暖による量の高低を考えて、黄蜀葵(トロロアオイ)あるいはトネリ、あるいは梨子葛、美男葛という物を検試したけれども、接骨糊はよく利く物である。
梧桐根を試検して8ヶ年に及ぶが、この樹根皮900目を用いれば、楮皮10貫目で製造する際、寒暖、梅雨の別が無い。しかしこの樹は野山で自然に植生し、人々が利用できないことを嘆息して、この実を山野近林に蒔いた。早く生長することを見ると、20ヶ年が過ぎれば自然成長して、万民の営業の助けとなるだろう。
(解説)
紙原料を水の中で分散させるために加えるもの(高知ではノリという)のうち、もっとも良いとされるのはノリウツギ(源太は接骨糊と表記する)である。しかし、その効き目は夏には冬の4分の1に落ちてしまう。夏場は腐敗しやすいのである。
源太はこれに代わる植物を色々試した結果、アオギリ(梧桐と表記されている)にたどり着き、年月をかけて栽培実験した。このことを県勧業課の勧業月報に載せた。
「万民の営業の助けとなる」という言葉に、製紙業者全体のことを考えている姿勢がうかがえる。
この4年後には、ノリの不足が深刻になり、もう一度呼びかけた。「今このアオギリを栽培しようという考えを持たないのは勧業に熱心な人とは言えない」と少し強く訴えている。
防腐剤が日本で製造されるのは、大正時代以降のことになる。