4.坂本龍馬の手紙 坂本乙女あて(文久3年)

坂本龍馬の手紙 坂本乙女あて

文久3年3月20日(1863)
脱藩後初めての手紙

(現代語訳)
そもそも人間の一生など、分からないのは当然のことで、運の悪い人は風呂から出ようとして、きんたまを風呂桶の縁で詰め割って死ぬこともある。
それと比べると私などは運が強く、いくら死ぬような場所へ行っても死なず、自分で死のうと思っても、また生きなければならなくなり、今では、日本第一の人物勝麟太郎殿という方の弟子になり、毎日毎日、前々から心に描いていたことが(海軍のことが)できるようになり、精出して頑張っています。
ですから、40歳になる頃までは、うちには帰らずに働こうと思っています。兄さんにも相談したところ、最近は大変ご機嫌がよくそのことについてもお許しが出ました。
国のため、天下のために力を尽くしています。
どうぞお喜び下さい。さようなら。   龍
乙女様
おつきあいのある人のなかでも、ごく心安い人ならば、そっと見せてもいいです。さようなら。

(解説)
19歳(嘉永6年・1853)で江戸に出て剣術修行中、ペリーの黒船を見た龍馬は翌年(安政元年)土佐に帰り、ジョン万次郎を取り調べた河田小龍を訪ねました。「日本も蒸気船を持て」と励ます小龍に対し、龍馬は目標を果たすことを約束し、乗組員の養成を小龍に頼みます。
8年後脱藩によって江戸に出た龍馬は「師と仰ぐならこの人」と決めていた勝海舟に、迷わず弟子入りしました。ようやく目標に到達した龍馬の、抑えきれない喜びがみなぎっています。

(高知県立坂本龍馬記念館『龍馬書簡集』より)