14.源太日記より-1

吉井源太日記より

(現代語訳/明治19年6月12日)
我久しく製紙を業としていとなみ、年々歳々旧きを去る事できず同じ業にたずさわっています。すでに日も移り時がかわり、維新となったので、有志が改良新発明品を考案して各博覧会共進会に列品すれば、審査事項により意外な高賞をいただく事、五度に及びました。これ全くわが功にしてわが功ではありません。村に戸長あり郡長あり、国に田辺県令あり属官あり、かたじけなくもその保護の厚いことがあり、このような事にいたりました。

【日記の解説】
源太の出品した紙は、明治18年にアメリカ・ニューオーリンズで開かれた万国工業兼綿百年期博で一等賞を受けたほか、明治10年と14年の内国勧業博覧会や明治17年の高知県共進会、19年の四国連合共進会といった会へ出品し、いずれも高い賞を与えられていた。これら5回の受賞の喜びを分かち合うために祝宴を開き、縁のある人々を招いている。これはその挨拶の冒頭部分で、自分たちの仕事への自負と受賞の喜び、また援助をしてくれた各方面へのお礼が述べられている。

【吉井源太・そのころ】
明治10年 内国勧業博で製紙最高の龍紋賞受賞。内務卿大久保利通の命で、上野公園でミツマタの鑑定
明治14年 内国勧業博覧会で有功一等賞受賞
明治17年 高知県共進会
明治18年 アメリカ・ニューオーリンズの万国工業兼綿百年期博で一等賞を受賞
明治19年 四国連合共進会(徳島)