13.吉井源太日記について

吉井源太日記について

吉井源太の遺品は、昭和39年に吉井家から
いの町へ寄贈されて、「いの町保護文化財」に指定されました(当時は伊野町)。これには「史跡」、「建造物」、「民俗資料」が含まれています。
このうちの「民俗資料」は、製紙用具類や日記を含む遺墨(いぼく)類が指定されたもので、いの町紙の博物館に保管されています。遺墨類というのは、源太が出したり受け取ったりした手紙や、県へ提出した書類の下書きをはじめ、書画などまで各種のものが含まれています。
民俗資料に含まれている日記は、源太が明治10年あたりから、亡くなる2年前の明治39年まで、ほぼ毎日つけられていたものです。和紙に筆で書かれており、現在残っている日記は39冊あります。
日記の内容は、各地への訪問記録、紙の受注・納品記録、職人への紙や道具の発注やその支払記録、各種博覧会等への出品計画、紙の原料開発および紙に関する実験記録、同業組合活動についての記録の他、手紙や提出文書の下書きといった職務上の内容が大部分を占めますが、地域の出来事などの記述も含まれており、当時の様々な状況が良くわかります。
私は、明治時代の和紙製造業の状況を明らかにする目的で、平成16年頃から紙の博物館の許可を得てこれらを拝見し、和紙製造技術の最先端だった高知県の様子を研究させて頂いてきました。日記全文の読解と現代語訳から、源太の活動の状況や和紙業界の様子などを詳しく把握するよう努めています。

本展監修;吉井源太研究家 村上弥生