4.日本製紙論の出版

『日本製紙論』の出版

『日本製紙論』という本は明治31年3月に出版された。源太は新しい紙の製造方法について色々開発していたので、高知県簡易農学校の校長であった農学士の澤村眞は、源太がその内容を書いておくことは是非必要なことだと考え、源太に勧めた。澤村校長は「吉井翁は謙遜して容易に筆をとらなかったが、製紙に関する本をまとめようとすれば、この仕事に熟練し、かつ功労のあった吉井翁以外にはないと思って、著述を勧めた」とある。
源太は、明治29年末から30年春にかけて、高知県簡易農学校で和紙製造の実習・講義を受け持った。簡易農学校とは、農閑期の時期にのみ開かれ、農業に関する必要な科目が幅広く教えられるが、地方の情況によって、農業以外の科目を教えても良かった。
源太はここで、土佐和紙の製造方法を教え、『日本製紙論』は、このかたわらにまとめられた。
この農学校にはまた、本を作るのにふさわしい協力者があった。畜産関係の教師として勤務していた平山晴海という人で、『日本製紙論』は、「吉井源太翁口述 平山晴海編輯(へんしゅう)」となっている。年末年始にもかかわらず、二人で熱心に調べ物などをしていた様子が、日記には記されている。

『日本製紙論』ではまず、紙の原料について、良いものを見分ける方法、また、繊維を取り出すための方法が詳しく説明される。そして実際の紙漉(す)き作業の工程、各種の用具、また混合物の説明などが続く。当時、和紙を漉いていた人、これから漉こうとしていた人にとって、大変参考になったと思われる。このあとは、当時の代表的な紙について、37種類が取り上げられ、歴史や作り方、用途などが簡潔に述べられている。作業の様子や原料植物など各種の絵が付けられていて、説明だけではわかりにくい部分もよくわかる。
「はじめに」にあたる「総論」の最後で、長く作り続けられてきた日本の紙は今、世界の賞賛を受けていると述べている。滑らかで緻密、また保存性にすぐれていることは世界の中でぬきんでているのだから、製紙業者は、大いに世界の市場で競争する覚悟を持つべきだと呼びかけている。そのためには、色々研究しなければならないと書いていて、源太自身、たくさんの研究を重ねた。

◇◆ 注釈 ◆◇
明治以前の紙といえば、楮(こうぞ)で漉いたものがほとんどで、この伝統的な紙の製造方法をまとめた本は何点か出されていた。明治になり各種の新しい紙が開発されていく中で、その特徴や製造方法を説明する本はなく、源太の『日本製紙論』が最初の本であった。
その後明治40年に、印刷局抄紙部技師であった沼井利隆著『化学応用 日本製紙新法 付欧米式及支那式製紙法』という本が出される。この著者の名前も源太の日記に登場しているが、数少ない和紙製造法についての本は、ほとんどが印刷局抄紙部の技師または技師出身の著者による。実際に抄紙を業とした工人のまとめた本は稀少で、職人にしかわからない勘所(かんどころ)のようなものが基礎にあると思われる貴重な内容である。
その後も各種の和紙を漉きこなせる紙漉人によるこれほど詳しい解説書は書かれていない。具体的また客観的に書かれているので現代においても大変価値がある。