10.人間国宝の漉く土佐典具帖紙

人間国宝の漉く土佐典具帖紙
―濵田幸雄と後継者―

濵田幸雄(昭和6年生まれ・いの町神谷在住)は、平成13(2001)年、国の重要無形文化財「土佐典具帖紙」製作技術の保持者、人間国宝に認定された。国の文化財保護審議会によって、「芸術上の価値が高く、工芸史上重要な地位を占め、地方的特色が顕著な工芸技術」との評価を受けたものである。

また、これに先立つ昭和47(1972)年には「第8回キワニス文化賞」を、平成3(1991)年には「現代の名工」として労働大臣表彰を受け、平成5年には勲六等瑞宝章を受章している。

典具帖紙を漉くには高い技術と強靱な体力が必要であり、伊野を代表する「特別な紙」として認められていたことは、伊野の職人たちが典具帖紙以外を「普通紙」と呼んだことからもうかがえる。認定当時、典具帖紙だけを漉く現役の職人は濵田幸雄のみとなっていた。彼はこの紙の技術を絶やさないため、他の紙を漉かずに鮎釣りや日雇いなどの副業で生計を支え、腕を守ったのであった。現在は第一線から退き、孫で紙漉き業4代目となる濵田洋直が、土佐典具帖紙を祖父から受け継いでいる。幸雄の紙は、ちぎり絵の需要ともあいまって、明治期のものよりもさらに薄くしているという。光源にかざすと、紙全体に渦を巻く繊維が見えるのが特長である。極薄だけでなく、中厚や特厚の種類も漉き分ける。重要無形文化財の指定を受けたのは「本晒し」という、原料を石灰やソーダ灰で煮た、漂白に化学薬品を使わない、手間のかかる技法の紙である。

全盛期だったのは濵田洋直の曾祖父・秋吾(あきご)の頃で、職人が大勢いた中で、コンテストを開けばたびたび優勝していた最高の職人だった。また、家族は漉く以外の原料作りや検品などの作業を担ってきた。そうした協力があって、「家業として残る技術」は、残るべくして残ったともいえる。

昭和51(1976)年、新たな販路を開拓した恩人である亀井健三が濵田幸雄のもとを初めて訪れた際、「あと1年続けてください。その間に全国行脚して、この紙を全部はけるようにしますから」と言ってくれた。幸雄は申し出を受け入れ、手漉きの土佐典具帖紙は残ったのである。

一方、濵田洋直は、学校での教育普及活動にも仲間とともに熱心に取り組んでいる。そこで伝えたいのは、「土佐典具帖紙を通じた高知の魅力と人間力」。職人の後継者育成には5年はかかる。その間、若手職人が公的な教育活動にも携わる機会があれば、後継者育成を支える力になるだろう。「将来、ものづくりをする人・紙を使う人を育て、すばらしい素材がいの町にあることを知ってもらう」ための教育だと濵田は言う。

こうした活動は、土佐典具帖紙を使い広める北村霞代子らの始めた国際交流活動とも連携している。