6.典具帖紙の機械化に成功

典具帖紙の機械化に成功
―エンジニア・高岡丑太郎の飽くなき挑戦―

昭和30(1955)年代、高知の典具帖紙をタイプライター原紙として加工・販売していた岐阜県(美濃)から、効率的に表面加工ができるロール状の機械紙が求められていた。しかし、一般的な和紙と異なり、繊維の長い楮を使って薄い典具帖紙を機械で抄くのは、高知の紙業界でも不可能とされた。

それを成功させたのが、高岡丑製紙研究所の高岡丑太郎(明治33-昭和40年/1900-1965)である。昭和36(1961)年のことだった。楮の繊維の結束を除き、均質な紙の層を造る機械の仕組みが、開発の難問であった。高岡の懸垂短網式抄紙機では、紙の縦と横の強度を、手漉きの職人が桁を揺すって調整するような均質さで行うことができた。手漉きが徒歩なら、この機械は自転車ほどの速度で抄く。版画紙を抄いても、刷る時に縦横の伸縮の差が気にならない仕上りとなる。

何年もかかった開発には、県の紙業試験場も協力した。一つずつ技術的ハードルを乗り越えながら特許を積み重ねた結果が、楮で極薄の典具帖紙を抄く機械の開発という快挙につながった。

伊野に生まれ、昭和10年に日本紙業(現・日本製紙パピリア)から独立した高岡は、菊楽に工場を持つ。そして戦後の物資不足下にあって、和紙量産の需要に応えるべく、機械化へのたゆまぬ研究を続けたエンジニアである。

高岡が開発した懸垂短網式抄紙機は、和紙全般に使えるため、高知はもとより、全国の和紙産地へ、手漉きから機械抄きへの波に乗って、100台以上も納入されていった。オーダーメイドで受注し、少人数の工場でも扱えて、少量多品種の抄き分けが魅力である。

現在も、高岡丑製紙研究所はもちろん、地元いの町や日高村で、この機械を使って典具帖紙機械化への転換をした会社が、それぞれ特長のある製品を造っている。テストマシンだった一号機もまだ現役である。