4.小路位三郎、保護を提言

小路位三郎、保護を提言
―土佐典具帖紙の継承に情熱―

小路位三郎(明治41-昭和48年/1908-1973)は旧伊野町で生まれ、昭和4(1929)年、土佐紙業組合立製紙試験場の技手となった。生涯にわたる製紙技術の開発と業界振興のキャリアは、土佐和紙から始まる。

その後、島根県工業試験場石見分場、鳥取県工業試験場を経て、戦後は輸出用高級和紙を増産体制に導いた。昭和32年には埼玉県の製紙工業試験場長に着任し、小川和紙の振興・指導に努めた。

多忙な業務のなか、中小企業診断員として各地の和紙産業の調査・診断を実施するとともに、文化財専門審議会専門委員として、昭和43年には越前奉書ほかの重要無形文化財の指定とその保持者の認定に携わり、和紙の文化財としての保護に道を開いた。

土佐典具帖紙は昭和48(1973)年11月、国の「記録作成等の措置を講ずるべき無形文化財」に選択された。この指定によって、文化庁から無形文化財などの調査及び記録作成補助金を受けた。そして土佐典具帖紙技術者会(13名が構成)が、伊野町から無形文化財の指定を受けている。

こうした、いわゆる「記録選択」指定への動きを起こしたのが、文化庁の特別委嘱委員だった小路位三郎である。全国の紙産地をよく知り、土佐典具帖紙をはじめとする土佐和紙の衰退を憂えた彼は、文化庁の文化財保護審議会専門委員を務めた昭和47年、本県紙業界活性化のため、数々の勧告を出している。同年度、土佐典具帖紙保存会が結成され、「第8回キワニス文化賞」に土佐典具帖紙の手漉き職人6人が選ばれた。これは「記録選択」への指定につながる受賞であった。

当時の和紙業界は機械抄き紙の増産や需要構造の激変で、非常に厳しい状況に置かれていた。小路は昭和47年の高知県への勧告で、「土佐の世界に誇る手漉き土佐典具帖紙の製造技術の保護を図られたい」と述べている。故郷土佐の紙に関わる人々へ激励を込めた勧告を贈って、翌年に他界した。