2.伊野精紙で大量生産

伊野精紙で大量生産
―伊野に技術の粋を集めて―

明治19(1886)年に伊野町で創立した伊野精紙合資会社は、会社の基礎が出来上がった明治23年以降、典具帖紙などの特種紙の抄造を開始し、その後、伊野町内に第2・第3工場を開設して発展した。

ここで漉かれていた紙の質の高さは、国の機関である印刷局の抄紙部長から賞賛された。視察に訪れた際に「典具帖と薄様の紙は尋常の技術者のなし得ぬところ」と報告されたのである。

伊野精紙は、明治31(1898)年に神谷(こうのたに)村の手漉業者を組織し、典具帖紙の委託製紙を開始した。また、社長であった土居喜久弥が、神谷、日下(くさか)などの業者を集めて土佐典具帖製造組合を組織し、輸出の途絶まで起こすほど深刻な問題であった粗製乱造の是正と輸出への関心を高めたとされる。

この頃の吉井源太の日記には、源太自身が土佐紙業組合の巡回教師兼顧問としての立場で、多い時期には毎週のように神谷や伊野精紙会社を巡回したという記録がある。源太が技術の指導や設備の視察などを行い、伊野の典具帖紙の質の高さを維持するために努力していた様子がわかる。

明治37年の日記には、神谷で土佐典具帖紙の会議が開催され、源太が土居喜久弥とともに向かったこと、また、明治38年の日記には、3月に品評会が開かれ、審査員を務めたと記されている。出品紙の質が高く、源太も満足であった様子がうかがわれる。