源太日記と愛媛

愛媛県産地での伝習・交流
ー「源太日記」よりー

訪問・伝習の概要

明治29年5月から2か月半をかけて、源太自身が愛媛県内産地を巡回指導した。
移動の範囲は、川之江、西条、今治、松山、久万、大洲、内子、宇和島にわたり、各所での講習会で多数の来場職人に対して、当時最新の紙の抄造方法などを講習している。この巡回は県知事からの依頼を受けたもので、各郡役所でも歓迎された。

伝習についての記述

巡回の初めには松山で県との打ち合わせがあった。「5月4日 県庁に行く。書記官に面会。明五日より川の江に出張する手順を話す。午後二時真部光太郎来る。旅費受け取り、依頼委任状」
その後、県東部の産地へ巡回した。「5月7日 午前川の江郡役所に行く。郡長に面会。三嶋に行く。製紙改良の式を行う。郡長祝詞。総代の祝文。吉井源太演説」「5月10日 午前9時また松脂を煮る。東洋紙試験漉。川の江 篠原荒吉 三嶋 塩田倉太郎 金田 森幾太郎 金生村 高野好蔵」ここでは、当時の先端の紙を含めた製造法が伝習された。
「11日 コッピー紙 東洋紙 典具帖 三椏小半紙 三椏大半紙 防寒衣 六寸半切紙 封筒紙
この8種の話をする」
その後、県西部を宇和島まで巡回している。「6月10日 五十崎村に着 生書院の試検。山脇寿之助、漉方つとめる。この地の人皆々手並好し」

訪問・伝習先との交流

巡回中、先々で贈り物や こ馳走を受けた。「5月14日 午前7時 住治平の弟来る。各紙士産として、ビールを添え持参あり」山越えの旅には困難が多かったが、源太はその中でもユーモアを忘れなかった。「5月31日(山中の茶店で)ワラヂを頼むが、売り切って御気の毒と申すには 困り、馬のクツを何とかはき様ないかと問う。皆々ー同大笑いで一座狂々。・・・・・・(内子町)小田町に着く」
その地の有力者と紙の古跡も尋ねた。「6月20日 午後 緒方村長来る。雑談の上この地に仙過居士の墓あるという」

伝習後の愛媛県産地

愛媛県の宇摩地方では、紙漉きが始まったのが新しく、明治期に急成長を遂げることになるが、これは高知をはじめとした先進地の技術習得に熱心であったことによる。この中、源太は依頼を受けて2か月余りの巡回指導を行い、他産地ではあまりなかった、最先端の抄造方法の指導を行った。特に川之江・三島地区では、「三椏小半紙 三椏大半紙」といった、後に「改良半紙」と呼ばれるようになる、新原料を使った紙などが伝習された。