源太日記と鳥取

鳥取県産地での伝習・交流
ー「源太日記」よりー

訪問・伝習の概要

明治20年3月から源太自身が2か月余りをかけて県内各和紙産地を巡回し、伝習指導を行った。原料のさらし方、栽培方法を主として、填料、器具などの伝習をするとともに漉き方を実地指導した。

伝習についての記述

高知から船で神戸へ着き、大雪の峠を越えて岡山県を過ぎ、鳥取市に着く。「3 月6日 県庁に到着届けを出す。それから農商課委員2名参り種々話す」 そして、県内各地の巡回指導が、倉吉から始まる。「3月9日 倉吉で有志者が衆会する」とあり、30名余りの集会者に対して製紙、原料について講話を行う。ここではさらに宿にも質問者が訪ねてくる。
この後、県の東西にわたる産地を巡回。「3月23日 山 根に9時に着。願正寺に入る。門徒宗である。警察官3名来る。高知南新町の池田氏である。各々話する。午後2時(講習会)開会。集者60名余。種々製紙の晒方、煮方のこと懇談する。横川与平方に宿る。その夜戸長、学校教師と酒を飲む」 多くの参加者に対する講話をしたほか、土地の人と酒を酌み交わした。 鳥取では特に、三栢に注目している。「4月14日(硯佐治町)大井村昌福寺境内に櫻咲き、椿あり、外山に花盛る。午後2時、三栢煮る。智頭郡加瀬木外18ヶ村24戸長西尾幸八。同郡用ヶ瀬宿外13ヶ村戸長山田当務2名来入。午後3時20分御堂で開会。集者43人」 この会は午後7時まで続いた。鳥取県内で智頭町、鳥取市、倉吉市、米子市を中心とし、それらを結ぶ街道の山間各地を訪ねる指導を終えて、「5月9日 県庁より呼び立てが来る。慰労金賜る。県知事に面会する」

訪問・伝習先との交流

途中、風邪や喘息によって体調不良となることもあった。 「3月29日 ますま す病(喘息)がすすみ、協議をして鳥取町へ発つ。駕籠、徒歩3人、人足1名。鳥取大工町小谷栄蔵方に帰る。午後1時、医師、井尻東林氏を呼ぶ」
また、高知県との思いがけないつながりを発見することもあった。 「4月16日 この宿に働く「みつ」のいとこで 「とら」という人、明治17年に四国巡拝の時、五台山で犬の吼え付くことがあり、その処縁にして五台山の茶屋に嫁す」

伝習後の産地

源太の日記内の報告書下書きには 「皆旧習貫で小半紙、大半紙、美濃紙のようなものを一枚漉にしており、大業なる事を得ず」という状況であったが、「大漉の器具を奨励し、また、原料三木、梢・黄瑞香(三栢)栽培の演説をした」巡回の結果、「鳥取県産額増益の時に至ったとして官庁でも大贄成」となったと書かれた。
和紙研究や民芸運動で知られる英文学者・寿岳文章は、著書『紙漉村旅日記』に、昭和13年に青谷を訪れ、「来村した吉井源太の指導の跡が著しい」という見聞を記している。