現代の和紙産地」カテゴリーアーカイブ

岐阜県美濃市の和紙産地訪問 2018.6.24

2018年6月に岐阜県美濃市の和紙産地を訪問しました。
ずっと以前に展示の見学だけをしたことがあった『美濃和紙の里会館』で、まずお話をうかがいました。
以前の訪問の時よりも館内が広く、充実した感じを受けたのは、後で調べて分かったことですが、2017年にリニューアル・オープンされたからだったのでしょう。
会館で館長・清山健さんと美濃手すき和紙協同組合理事長・鈴木竹久さんからお話をうかがいました。
和紙の里会館には共同作業場も併設されていて、研修コースを設けておられることをはじめ、産地全体の様子をうかがいました。
会館の周囲を案内いただいてその日は辞去し、翌日は紙漉き職人さん訪問の予定となりました。
まずは会館にて館長さんから、美濃和紙産地としての活動についてさらに色々お話をうかがいました。
茨城県の大子町で大子那須楮の栽培を行ってもらうにあたり、永続のために色々と工夫されているということでした。

職人さん訪問として、最初に石原英和さん方へお邪魔しました。
まずは、いの町でのフォーラムにパネリストとして参加いただくお願いに対して了承をいただき、引き続いて長年の職人さんとしての歴史のお話をうかがいました。
どれもこれも興味深いお話でしたが、一番は「コピゆり」という漉き方、簀桁の扱い方があったというお話でした。
「コッピー紙」という、かつて存在し、今はほとんど知られていない「コッピー」という複写用の紙の漉き方で、この紙についての歴史をまとめようとしていた私にとっては、願ってもないお話でした。
このほか、昭和の初めころに典具帖紙をコーヒーフィルター用として輸出していたというお話も、そのために紙を丸く切裁する木の枠も見せていただき、具体的に理解することができました。
石原さん方では娘さんが後継ぎとなり、どんな紙でも作れると誇らしげに話してくださいました。

美濃手すき和紙協同組合理事長でいらっしゃる鈴木竹久さん・豊美さんご夫妻の和紙工房では、漉き・干し・選別の作業を見せていただくことができました。
漉きの師匠格である豊美さんから、漉くときに大切なことをお聞きし、竹久さんからは選別について詳しくお聞きしました。
外では強い日差しの中、干し板に貼られて天日干しされている紙を見せていただきました。
良く乾きそうに思えましたが、風もないと乾きにくいということでした。

古い歴史のある産地であることが隅々に良く感じられる訪問でした。


長良川に注ぐ板取川の風景

大子那須楮の白皮の束

石原英和さんによる「こぶり」の実演

漉いた紙を重ねる(鈴木豊美さん)

愛媛県・川之江の和紙産地再訪

2018年6月に愛媛県四国中央市(旧川之江市)の紙産地を再訪しました。
丸あ製紙所さんの、脇 憲久(としひさ)会長さん、正樹社長さん、会長さんの奥様と10年ぶりの再会でした。
会長さんは当時社長さんで、奥様とご一緒に、たくさんのお話を聞かせてくださったものでした。
2017年5月に創業120年を迎えられたという、おめでたいお話も聞きました。
息子さんの正樹さんがあとを継ぎ、しっかり事業をつなげていらっしゃることや、奥さん、お子さんとのにぎやかな家庭を築かれていらっしゃるご様子も知ることができ、うれしい訪問でした。
丸あ製紙所さんは明治時代に手漉き和紙工場から始まり、昭和37年に和紙原料を使っての機械抄きに移った会社です。
10年前に見せていただいたと同じように原料が大きな水槽に入れられていました。
この原料と、抄くときに必要なノリの入手が困難になっていることを強調されました。
このことは、2018年いの町の紙の町フォーラムでも重要なポイントとなりました。

丸あ製紙所さんの皆さんに見送られた後、この地域の製紙にとって大切な水源となっている銅山川の見学に向かいました。


具定展望台から川之江・三島方面を望む

銅山川にかかる橋と風景

鳥取の和紙産地再訪

2018年5月に鳥取県の紙産地を再訪しました。
青谷町の和紙工房・山田館長さん、大因州製紙協業組合の理事長、専務理事や資料館をご案内くださった塩さんご一家、因州和紙協同組合の長谷川理事長さん。
佐治町の佐治紙業協業組合の岡村理事長さん、和紙工房かみんぐさじの専務取締役・井上さん。
お時間を割いて色々なお話を聞かせてくださったり、由緒ある場所を案内してくださったり。
本当にありがとうございました。


青谷町にある因旛紙元祖碑

佐治町にある佐治紙祖碑

2003年に、「和紙について勉強を始めた人」として、とにかく各和紙産地を見て回ろうという姿勢でうかがって以来の産地でしたので、感慨がありました。その時も色々親切にお話をしていただきましたが、自分の方で知識を持ってから聞くのとは、やはり違うと感じました。
印象として、そのころより、何か、新しい動きを感じられた気がしました。
当時は多分、この産地の主力産品である書道用紙が売れなくなる一方、新しいこともまだ始まっていないという状況だったのでは?と思います。

また、改めて強く印象に残ったことは、紙漉きの漉場の清浄さでした。
そして、紙を漉く人々の芯の通り方のようなもの。
そうでなければ清浄な紙は漉けないのだなという感じがしました。
こういうことは今までも本で読んでいたのかもしれませんが、今回改めて実感しました。
「産業」という目だけで見ることに何か間違いがあるのではないかということを考えました。

青谷では吉井源太とのつながりのお話がうかがえたことも大変うれしいことでした。


美を感じさせる紙漉き道具(青谷町の長谷川製紙所にて)

鳥取駅コンコースの「因州和紙の花アート」展示ー梨の花と白うさぎ